”自由” と ”不自由”  今日のヨガのテーマ

ウナリ崎

2週間ぶりのヨガレッスン

 

ここ最近、来客やなにやらで中々ヨガのレッスンに行くことができませんでした。
今日、久しぶりに行くとなんと私一人!
申し訳ない気持ちになりながらも、普段はできないようなお話を先生とすることができて楽しいひと時を過ごしました。
私は基本的にあまり隠し事ができません(笑)
聞かれたら素直に答えてしまう性質だし、隠すべきことも隠しておけないのでオープンと言えばオープンです。
悪く言えば余計なことまで喋ってしまうおしゃべりな人なんです。
ただ最近は色々とあり、人にどう説明したらいいのかわからないことも多いのが現実。
そんな中、先生と一人対一人だったので気兼ねなく話すことができました。

 

テーマは「自由と不自由」

 

私が通うヨガのスタジオではレッスンにテーマがあることが多いのですが、身体的なテーマと精神的なテーマがその時により織り交ぜられています。
たとえば「股関節をほぐす」とか、「腰をのばす」とか。
今日は「自由と不自由」がテーマでした。
何とも奥深い感じですね。
お話を伺うと、「自由に」と言われたときにそれを「不自由」と感じてしまう枠にはまりこんでしまっていることがあるとのこと。
その「枠」とは自分に対して無意識にかけている「制約」のことでそこから1歩踏み出す軽やかさについてがテーマでした。
自分が自分に無意識にかけている制約をしることは、とても難しいことですね。
実はそれが信念とか宗教とかという言葉に置き換えられて隠されている場合もとても多いと思うのです。
「不自由である」という自覚なしに、陰でフラストレーションがたまり周囲に悪影響が出るなんてことも多々あります。

 

自由でいられる幸せ

 

自分自身のことを自分で決められる自由って、私にとっては何よりも大切なものです。
それはパートナーにとっても非常に重要なことだと思っています。
自分がどのように生き、どのように物事を理解し、表現をして何を選ぶか、そのすべてが私にとって非常に重要。
そして人にとってもそれはとても大切なことだと思っています。
なのでそれを邪魔する人が全く理解できないのです。
むやみに人を否定したり、人の選択を強制的に変えさせようとする人に出会うと猛烈な怒りを感じます(笑)
もちろんそんな人に負けはしませんが、負けてしまう人もいるのが現実。
そしてはた迷惑なことに、無責任に人の決意を非難する人はなりふり構わず力づくだったりするのです。
そして自分の発言に責任を持たない(笑)
困ったものです。
でも負けません。

 

不自由になっていることに気が付くことの大切さ

 

現実の生活の中で無意識に「自分にはできない」とか「きっと叶わない夢」と自分自身を縛っていると本当にできなくなってしまいます。
無意識の思考の力は非常に強いものだということを、今までの経験で痛いほど感じてきました。
自分の意識を改革し、「不自由」の原因を探り解決し、「自由」になることは生きていくうえでの永遠のテーマでもあります。

自分自身を信じて「自由」への責任を負うこと。
不必要な傷つけあいはしたくないけれど、戦うべきところで戦える自分を信じる気持ちを強く持っていたいと思います。

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